横浜市立大学 国際教養学部 都市学系
准教授 石川 永子(いしかわ えいこ)様
- 第1回:自己紹介
- 横浜市立大学の石川永子です。
もともとは建築士として、住宅メーカーで軽量鉄骨造の住宅や賃貸住宅を扱う設計部にいました。
東京都立大学大学院の都市防災・都市計画の研究室に在籍しながら、木造密集市街地としては有名な東京都墨田区京島のまちづくりに関わってきました。
その後、内閣府と兵庫県が設立した『人と防災未来センター』の研究部で、「自治体の防災人材の育成」、「自治体の災害対応の研究」、「木造密集市街地の整備」を都市計画や地域防災の視点で研究・実践活動をしてきました。
現在は横浜市立大学で、官学連携や市民協働の視点から研究室の学生と共に地域防災や事前復興など住宅再建に関する実践と研究をしています。 - 第2回:東日本大震災の南三陸町での復興計画策定支援の経験から
- 東日本大震災のときに所属していた『人と防災未来センター』研究部は、自治体の災害対応の支援が業務であったため、震災の1カ月後から、南三陸町の復興計画を策定する課の支援に入っていました。
私の博士論文が中越地震後の集団移転と住民への影響といった内容であったことも理由でした。
被災後3~5カ月後に、町外を含めた二十数カ所の避難所をまわり被災した町民の声や復興まちづくりに対する意見の聞き取りをワークショップ形式で行いました。
苦しい現状を聞きながらも町の未来に向けての意見を集めていきました。
その後も説明会や市民会議等を重ね、多くの人々の協力のもとで、秋に復興計画が策定されました。 - 第3回:南三陸町の断水中の避難所ホテル滞在の経験から
- 東日本大震災の復興計画の策定支援の際には、半年近く南三陸町と神戸を往復し、約半分を南三陸町で過ごしました。
はじめは仙台や登米市のホテル、途中からは、避難所に指定されていた町内の大型ホテルに空室が少しずつ出てきたことから、滞在することができました。
一般的に災害後の宿泊施設の避難所活用は、インフラが復旧している施設が対象となりますが、広域長期断水のなかで、ここは数百人もの被災者を受け入れていました。
飲み水は外国からの支援のペットボトル水、各室のトイレは使用できず、小は各階のトイレ、大は玄関外の仮設トイレにという時期もありました。
その後は給水車による大浴場への給水や海水利用など様々に工夫されていました。
また、水がないホテルに滞在している全被災者のために、洗濯物を預かって被災地外で洗濯し戻すボランティアの運用など、多くの人々の助けのなかで、断水中の避難所ホテルが運営されていました。
そこで感じたのは、やはり、普段当たり前のように利用している上下水道のありがたさでした。 - 第4回:内水氾濫と住宅被害
- 令和元年の東日本台風では、世田谷区や川崎市内で、内水氾濫とみられる浸水により多くの家屋が被害を受けました(川崎市では、死者1名、床上浸水約1,200件、半壊約1,000件)。
私達は浸水区域へのアンケート調査(回答462件)を行い、床上浸水以上の場合、修理費用は被害区分との関係性は小さく、保険の加入額やリフォームの有無などに影響されるものの、50万円から1200万円程度まで幅広く分布していること等、被災世帯の経済的な負担の大きさを明らかにしました。
詳しくは、日本都市計画学会 石川永子ら「利便性の高い住宅地での水害による被災世帯の住まいと経済的負担に関する実態分析- 令和元年台風19号水害 神奈川県川崎市の住宅の修繕を事例として -」を読んでいただけたら幸いです。